多様性と開放性

クリエイティブ層の社会学 | 記事URL


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開放性


多様性は政治的に利用され流行語となつた。多様性を理想やスローガンとする人もいれば、行き過ぎた差別是正措置などのリベラルな慣行を生んだだけのお題目であると考える人もいる。私が調査したクリエイティブ層の人は、多様性という言葉を多用するが、政治的な意味で使っているわけではない。どのようなものであれ、ただただ多様性を重視するのである。あまりにも頻繁に、あまりにも当然のこととして語られるため、私は多様性をクリエイティブ層の価値観の基本標識としたほどである。私が行ったグループや個別の聞き取り調査で明らかになったのは、クリエイティブ層はだれもがなじめ、成功できると感じられる組織や環境を強く好んでいるということだ。

多様性はまず自分自身の利益になる。多様性は実力主義の規範が働いているシグナルとなっている場合もある。

有能な人は人種、民族、性別、性的指向、外見で区別されることを拒む。また、クリエイティブ層の人々は、求職の面接の際に自分自身はゲイではなくても、会社が同性のパートナーに対しても手当を払うかどうかをよく尋ねる。その事実一つをとっても、多様性が好まれていることがうかがえる。彼らが求めているのは多様性に開かれた環境なのである。

民族や性的指向を問わず、非常にクリエイティブな人には、同級生の大半とはどこか異なっていると疎外感を感じながら成長した人が多い。変わった癖があったり、極端な格好をすることもある。またクリエイティブ層は流動性が高く全国各地を移動する傾向があるため、米国生まれであつても「地元の人間」とは限らない。新しい企業やコミュニティを評価する際、多様性を受け入れる、特にゲイを受け入れるならば、それを「標準的でない人を歓迎している」というサインとして受け止めるのである。

また、多様性を受け入れることで、組織の行動や方針にも変化が表れる。たとえばシリコンバレーやオースチンなどのクリエイティブ層の拠点では、伝統的に行われていた会社のクリスマスパーティは、より宗教色の薄い、皆が参加できるお祝い行事に変わりつつある。現在多くの企業で行われている大イベントと言えばハロウィーンパーティである。これならほぼ全員が仮装して祭日を祝うことができるからである。

クリエイティブ層は開放性や多様性を好むが、それは高等教育を受けたクリエイティブなエリートに限られた多様性である、という側面もある。クリエイティブ層の台頭によって女性や少数派が進出する新たな道が開かれたとはいえ、長年の人種間や性別間の対立に確実に終止符が打たれたわけではない。特にハイテク産業においては、こうした対立は続いているように思われる。ハイテク技術のクリエイティビティの世界には、アフリカ系米国人はあまり多くない。私が調査した何人かは、典型的なハイテク企業は「黒人のいない国連のようだった」と述べている。

これは残念なことであるが、驚くには当たらない。黒人が少ない職業にはいくつか理由が考えられるが、いわゆるデジタル・デバイド(情報化が生む経済格差)――黒人家庭は平均より貧しいために、その子どもたちはコンピュータに接する機会が少ない可能性がある――によって事態は悪化しているかもしれない。私自身の調査でも、ある地域のハイテク企業の集中度と人口の非白人比率との間には、統計的にマイナスの相関が見られた。ハイテク産業と外国籍住民やゲイなどその他多様性との間にプラスの関係があることを考え合わせると、これは気がかりな結果である。

クリエイティブ層を惹きつけている多様性について、興味深い指摘がある。従業員にインド人、中国人、アラブ人その他の顔ぶれが揃っているごく小さなソフトウエア企業について話をしていた時、あるインド人の技術者が言った。「それを多様性とは言わない。全員がソフトウエア技術者なんだから」たとえ完全とは言えないまでも、他の研究でも明らかなように、顕著な価値観の変化はたしかに進行しているのである。



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